付き合い始めたきっかけは中学最後の文化祭の準備に追われた前夜祭の日。 足りなかったペンキを二人で取りに行った帰り道でのこと。 「渋沢の支えになりたい」 肩を並べて歩きながらの告白は心臓が爆発しそうなくらい緊張したけれど、時折吹く風によって冷静さを保つことができた。 「俺も。を支えたいし、に支えてもらいたい」 その言葉を聞いた瞬間、手に持っていたペンキ缶を握ることができないほど気が抜けてしまい、暫く動けなくなるという失態をしたのだった。 あまりにも嬉しくて。あまりにも…幸せな瞬間だった。 こうしてめでたく恋人同士になったけど、ラブラブなカップル誕生というわけでもなく、何となく二人で話す時間が増えたり、連絡を取り合うという中学生らしからぬ付き合い方だった。 というのも、渋沢はサッカー部のキャプテンであり、サッカー界の至宝と呼ばれるほど中学サッカー界には欠かせない人物でもあるため、自分自身のために使う時間もないほど忙しいということもあり、そんな付き合い方になった。 高等部に上がってからもその付き合い方が変わることはなかった。一年生の時に少し余裕ができた時もあったけど、今まで一定の距離感を保っていた付き合い方だったためか、二人の時間が空いた時の過ごし方がわからず、二人で近くの公園へ行ったり、買い物をしたりするという高校生にしては色気のないデートの方が多かった。 傍から見れば、付き合ってるとは違うという人もいるかもしれない。 けれど、渋沢の一番近くにいる女の子が自分であることが何よりも幸せだった。 一緒にお弁当を食べたり、他愛のない話をしたり、勉強したり。 ただ笑い合えていることが嬉しかった。 こんな日がずっと続けばいいなと。 ずっと続くだろうと思っていた。 でも。 そんな日々は永遠には続かない。中学生活が3年間で終わりという期間が定められているように、高校生活にも終わりがある。そして渋沢と過ごす高校生活が残り少ない事も。 そう実感したのは、高校三年生になって間もない頃。そろそろ明確な進路を決めなくてはいけない3年生たちは悩みに悩む時期で色々な情報が飛び交う中、トップニュースが舞い込んできた。 それが渋沢の進路について話だった。 大学進学はもちろんするが、プロのサッカー選手としても歩み始めるらしい、というもの。 渋沢の口から直接聞いたわけではない明るい未来への道が、自分の空っぽな胸の中に入りこむとあっと言う間にモヤモヤしたものに変わる。 このままでいたい気持ちとは裏腹に現実はどんどんと前に進んでいく。世界から取り残されたような感覚に陥り、何もない自分は二つの道を進もうとしている渋沢を応援できるのだろうか。 離れたくないという気持ちばかりがあって、渋沢の支えになりたいと言ったあの日の想いはどこへ行ってしまったのかと暗闇へと落ちて行きそうになる。 最近はそんな事ばかり考えているせいか、渋沢と話す事が少なくなっていた。なぜかと言われるとわからないけど、内に秘めている想いを悟られたくなかったからかもしれない。 本日も普段通りに登校し、授業を受けあっという間の放課後。 教室にはちらほら鞄があったけれど、自分以外の人はいない。運動部の人は夏の大会に向けて、文化部の人はコンクールに向けてそれぞれ頑張っている。3年生のとっては最後になるかもしれないので、みな必死に部活動に励んでいた。 遠くから雄叫びのような掛け声が耳に入り、目を閉じる。 ふと、先日の噂話が頭をよぎる。暇ができると思い出してしまうことが日常茶飯事になっていた。そしていつものように落ちていく。 何をどうすればいいのか、自分はどうしたいのか。渋沢は何を想っているのだろう…。 「?」 聞き慣れた優しいトーンの声が耳に入ると、落ちて行きそうな感覚から現実へと戻ってくる事ができた。 そんなことができるのは、ただ一人。渋沢だけだ。 「…渋沢?どうしたの?こんなところで」 「いや…職員室に用事があってな。それにしても顔色が悪いが…どうかしたのか?」 心配そうに覗き込んでくれる優しい渋沢。思いやりのある自然な行動はいつ見ても胸の奥を温かくしてくれる。 「…ん、なんでもないよ、大丈夫」 「そうか…ならいいんだが…」 安心したように優しく微笑む姿が目に入り、この瞬間が好きだなと改めて感じる。けれど、すぐに曇った表情になったのはきっと何か話したい事があるのかもしれない。 「…。もしかするともう知っているかもしれないが…」 「…うん、知ってる。」 やっぱりな、と思った。渋沢はあの話が飛び交っている事を知っていて、それを確かめに来たんだと、先ほどの発言から悟った。 「…そう、か。」 「あたしはもちろん、応援するよ。頑張ってね。」 「ありがとう。」 渋沢のお礼の言葉はどこか戸惑いを含んでいるようにも見えた。笑って言ってくれたけど、どこか寂しそうな…そんな表情だった。 応援するより先におめでとうのほうが良かったのだろうか。どこかうわの空な気持ちを感じ取っているのだろうかと頭をよぎったが、そんなことで感情を露わにする渋沢ではない事を知っているし、他の事が原因であんな顔をさせているのだと確信していた。 渋沢が言えないならば、自ら言うしかないと覚悟を決める。 「どうする?」 「…何をだ?」 「…それはもちろん、あたしとの関係、だよ」 悟られていたことに驚いたのか、この話題が出てきたことに驚いたのかはわからないけれど、渋沢は珍しく動揺していた。 普段は冷静なのに、言い当てられると焦ることもあるということを付き合い合ってから発見したことだった。 今ではそんなところも愛しくてたまらない。目の前にいる渋沢の全てが泣きたいほど大好きだから。 渋沢は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、真っ直ぐに見つめてきた。 「俺は…卒業したら大学行きながら、プロになろうと思う。」 「…うん」 「あっちに行ったら、ついていくに必死で、の事を大事にする余裕なんてなくなると思うんだ…。 ……だから…」 「待って」 渋沢が今の今まで悩み考えてきたことを否定するつもりなんてなかった。離れたくない気持ちは確かにあったが、心から応援したい気持ちもあった。 サッカーをする渋沢は本当にかっこよく、特に不利と言われるPK時のゴールを守る姿は誰が見ても凄いと思うくらいの気迫ある佇まいで、今でも脳裏に焼き付いてる。 だからずっとサッカーをしていて欲しいし、世界中の人たちにも見て欲しい。そのくらい素敵な人だから。 応援しないわけにはいかないし、邪魔をしてはいけない…。 あの話を聞いた辺りから、こういう話をするかもしれないなんて思わなかったわけじゃない。 わかっていても受け入れたくないことだってあるし、そんな気持ちを感じ取って欲しいと思うのはワガママとしか言いようがなかった。 だから、決めていた。自ら話を振ることにしようと。 そして、ずっと疑問に思っていたことを含め、最後の悪あがきをしてみようと。 「ねぇ渋沢。」 ゆっくりと大好きな人のを呼んで。 「どうして」 ずっと疑問に思っていたことをぶつけた。 できれば自分の中に刻んで欲しかった思いも含めて。 「どうして手を繋ぐ以上の事、しなかったの?」 付き合って3年も経とうとしているのに、必要以上のスキンシップはなかった。手を繋いだことはあるけれど、それも数回で、それ以上のことなんてしようがなかったし、そんな雰囲気にもならなかった。 だけど、それでも良かった。渋沢がサッカーを大事にしてるように、大事にしてくれてるんだと思えたから。 「…」 「ずっと疑問に思ってた。なんでだろうって。あたしに興味ないのかな、とか、悩んだ時期もあったんだ」 周りからの甘い関係を聞けば聞くほど自分たちと比べてはかき消していった思いが蘇ってくる。 周りは周り、自分は自分、と必死に言い聞かせてきた過去が、頭の中に流れ込んできては、また消していく。 「だから、お願い。最後のお願い。」 自分なりのけじめであり 「キス、して?」 最後の抵抗だった。 「キスしてくれたら、別れるから」 渋沢がするとは思えない難題をつきつけて別れたくない気持ちを押し付けた。 「…」 困惑した表情がそこにはあった。 こうなることは頭ではわかっていたことだったが、言わずにはいられなかった。 これ以上、このまま生活していてもダメになると思ったから。 その場で目を閉じて、願いの答えを待つことにした。緊張と恥ずかしさで鼓動が異常なほど早かった。 「……、俺は… …できない」 目を瞑っていたせいもあったため、やけに耳の奥まで届いた。その音が全神経を巡り、全身を支配する。 呼吸をするにはどうしたらいいのかさえわからなくなるほど苦しかった。 「…ごめんね、渋沢。」 ゆっくりと目を開けて、今にも泣きそうな渋沢の顔を見ながら、泣きそうな顔で謝罪した。 さよなら、なんて聞きたくない。だけど、絶対に言わないとわかっていたから、こういった形で終わらせようと決めたのに失敗に終わってしまった。 「渋沢」 大好きな人のを呼んで。 大好きな人の傍まで近付き。 大好きな人の唇を重ねた。 「!」 「さよなら…ッ」 やり逃げのような初めてのキスをして、その場から逃げ去った。 目も合わせる事もなく、余韻に浸ることもなく。ただ逃げた。 呼びとめられても振り向けなかったのは聞こえなかったのではなく、聞きたくなかったから。 別れの言葉なんて、聞きたくない。 キスをしたらから、さよなら。 これで終わりにしよう。 全速力で走り、泣きながら頭の中で思う。 一瞬しか触れなかった唇が燃えるように熱かった。 *** それからはあっという間に時が過ぎた。 渋沢はサッカー漬けの日々で、自分はと言うと受験勉強に精を出していた。 お互いの様子はなんとなくわかっていたけど、あの日から何の接触もなくただ時間だけが過ぎ、二人で話すこともなかった。 暑い夏が過ぎ、実りの秋が過ぎ、受験シーズンの冬もなんとか乗り越え、そして高校最後の日。 式典を終え、最後のHRをするために教室に戻った卒業生たちは、最後の学び舎と舞台に最後の日を共有していた。 友人と写真を撮ったり、これからの事を話している時だった。 「。」 呼ばれて振り返ると、先ほどまで囲まれていた渋沢が立っていて固まってしまうと同時に、腕を掴まれ走らされる。自分の体なのに自分の身体じゃないような不思議な感覚だった。 人気の少ない教室へと入り、やっと走り終わったことに安堵しながら息を整えていると、急に身体が熱くなった。 「……らなんて言わないでくれ」 「……え…?」 抱きしめられてると理解できたのは耳元で渋沢の声が聞こえたから。 「さよならなんて言わないでくれ」 「…渋…さわ…?」 「俺はずっと…と一緒に居たいと思ってる。だけど、それは今はできない。俺にはまだを幸せにできる力がないから…。だから…迷ってた。」 ゆっくりと少し低めの声で話す。 突然の出来事に頭がついていかない。けれどわかるのは…渋沢の気持ちが自分と一緒だったという事。 「今の今まで答えが出せないでいたが、やっと答えを出したんだ。…聞いてくれるか?」 抱きしめられたまま頷くと渋沢は少しだけ腕の力を緩めて、顔と顔を合わせるような体勢をとる。 真剣な眼差しでしっかりと目と目を合わせながら。 「。必ず迎えにいくから。だから、待っていてくれないか」 今にも涙が零れそうなくらいに目頭が熱い。 もっと近くでずっと見ていたいのに、涙で視界がぼやけてしまう。 待ってる、なんて言えなかった。重荷になるとわかっていたから、言いたくても言えなかった。 「しぶ…・さわぁ…ッ」 愛しい人のを呼ぶと、糸が切れたように次々に大粒の滴が零れ始めた。 この幸せが嘘ではないと、確かなものであることを感じたくて今度は自分から抱きしめる。 「待ってる…待ってるよ…ッ」 「…ああ。待っていてくれ。必ず迎えにくるから。」 随分と回り道をしたけれど、決して無駄なことではなかったね。 これから歩む二人の未来にはかかせない時間だったのだと思えるよ。 たくさん悩んでくれてありがとう。 たくさん想ってくれてありがとう。 そしてこれからも。 末永くよろしくお願いいたします。 *しぶたん様へ 愛を込めて* |