まだ午前だというのに、このむしむしとした暑さはなんなんだろう。湿度は80%。ありえない。いくら汗を拭っても、意味をなさない。なんとか曇りだから、昨日よりかはマシだけど、あまりの暑さに、ついつい私は喫茶店に避難した。

 喫茶店に入った瞬間、そこに誰がいるかわかった。守護神・渋沢克朗だ。久々に見た彼は、テレビで見るよりも意外に普通の人のように思えた。ドアの閉まる音で、渋沢克朗はこちらに顔を向け、私に気付いたようで、私に手を振った。そのこっちにこい、呼ぶ仕草は、昔と変わらない気がして、私はついつい、中学生に戻ったような気持ちで彼の座る席の近くにまで行ってしまった。彼は自然に自分の席に座るように促した。渋沢くんの前に座って、カバンからハンカチを取り出してから、カバンを荷物置きに入れた。
「久々だな、。」
「うん、久々だね。とは言っても、私は渋沢くんのこと、テレビでたまに見かけるけど。」
 くすくすと私が笑うと、渋沢くんは少し照れた風に頬を掻いた。相変わらずの、彼の癖だった。地元の新聞だけでは気づけない。

「ご注文は何になさいますか。」
 そういえば、私はまだメニューを見ていない。メニューが欲しいと渋沢くんに目で促すと、渋沢くんは笑顔で、
「アイスカフェオレと、あとシフォンケーキください。だろ、?」
と、勝手に人の注文を決められた。言われたからには仕方がない。はい、それでと承諾すると、すぐさま店員はいなくなった。
「なんか、強引になった気がする。」
「そうか?まぁ、年を重ねれば多少は強引になるかもしれないな。」
 わかるような、わからないような。渋沢くんは、落ち着いた顔でいけしゃあしゃあとよくわからないことを言う。まぁ、たぶんメニューを見たところで、きっと私はシフォンケーキとアイスカフェオレを頼むから、いいんだけど。なんだか癪だから、それは黙っておくことにした。
「そういえば、今日はオフなの?」
「いや、4時から練習。」
「暑いのに大変だねー。」
は?」
「有給を取ったの。今日はぶらぶらしようかなぁって思って。でもあんまりにも暑いから、避難してきた。」
 私は苦笑しながら答えた。どう考えても、いつも炎天下で練習してる渋沢くんにとって軟弱な答えに違いない。
「まぁ、最近の暑さには、正直、俺もまいってる。」
 渋沢くんにしては、ちょっと意外な答えだ。いつだってそういう弱音は吐かないひとだったんだけど。でも、これぐらい言ってくれた方が、こっちとしても気を張らなくて済むからいい。

「シフォンケーキとアイスカフェオレになります。」
 持ってきてもらったシフォンケーキは、甘さ控えめのクリームがとっても美味しい。ついつい笑顔になると、渋沢くんが噴出した。
「なんなんですか、渋沢くん。シフォンケーキごときに喜ぶ小市民馬鹿にしてるの?」
「いや、すまない。そういうつもりじゃないんだ。ただ、あまりにも嬉しそうに食べるのが」
 そう言って、また渋沢くんは、にこにここちらを見る。
「シフォンケーキはすっごい美味しいけど、そんなに見られてたら食べにくいよ。」
「ん、でもまぁ、いいじゃないか。」
 何がいいのかわからないけれど、暖簾に腕押し。諦めて私はもぐもぐとシフォンケーキを食べる。食べてる間中、ずっと私を見ている渋沢くんは、明らかに昔と違う。昔なら照れて不自然に窓の外を見ていたくせに。

「じゃあ、そろそろ行くか。」
 私が食べ終わって少ししてから、渋沢くんは当然のようにそう言った。私としては、久々に会ったんだから、もう少し一緒に居たかったけれど、仕方がない。渋沢くんも練習前に何かいろいろあるんだろうし。
「そうだね。」
 名残惜しげにアイスカフェオレを一口飲んで、伝票を持とうとすると、渋沢くんに阻止された。
「いや、俺が払うから。、時間、まだあるだろ?」
「え、あ、うん。」
「じゃあもう少し付き合ってくれ。」
 私の知る渋沢くんは、こんなスマートに人を誘う人じゃない。というか、それはむしろ三上くんの十八番だったのに、なぁ……。



 私にはよくわからない高そうな車に乗る。車高の高い助手席から見る風景は、いつも通る道なのに、なんだか知らない場所のように思える。私の中の渋沢くんは、喫茶店でのギャップを差し引いても、まだ中学生だった頃の彼だから、なんだか、急に知らない人のように思えてくる。そもそも、この町を二人でいるということ自体、なんとなく不思議な縁だとしか思えない。私たちは武蔵森でしか、一緒に居ることはなかったのだから。
「見られてると運転しにくいんだが。」
「見てないよ。見てない。」
「運転してても、それぐらいわかるものなんだぞ。」
 渋沢くんは苦笑しながら、ハンドルを回した。渋沢くんだけ大人になったみたいで悔しい。同じ年数を重ねているんだから、もちろん私も大人になっているはずなんだけど。
「ねぇ、どこ行くの?」
「一回、と行って見たいと思ってたところなんだ。そんなに遠くはないから大丈夫だ。」
 遠くて困るのは渋沢くんだけなんだけどな。さすがにそれは口にできない。渋沢くんは、私の考えてることなんて素知らぬ感じで、どんどん道を進んでいく。そうやって、実はがんこで、勝手に決めちゃうとこ、好きじゃない。



 どんどん田舎の方に進む車に、私は少しだけ不安を覚えた。というか、これは田舎以前に山だ。不安げに渋沢くんを見つめ続けるものの、渋沢くんは、そんなに見つめられると照れる、などと言っていて、相変わらず答えてほしいようなことばは返ってこない。私は、このまま山中に置き去りにされるのか。それとも埋められてしまうのではないか。不安で頭がいっぱいになるころに、やっと渋沢くんは車を停めた。
「たぶん、ここらへんだと思うんだが。どうだ、。」
「……は?」
 どうだってなんだ。そしたら渋沢くんがまぁ、とりあえず降りようと言って車から降りるので、仕方なく、私も降りた。もわっと湿気が体を包む。それでも、山の中だからか、そこまで不快ではない。渋沢くんは、タオルをいつの間にか首に巻いていて、私にもタオルを持たせる。
「じゃあ行こう。」
 渋沢くんは軽くそういって、山のよくわからない小さな小道を通る。慌てて着いていくと、やっと渋沢くんの言っている意味がわかった。

「最初から言ってよ。」
 安堵しながら言う。よかった、とりあえず、山中に埋めることは目的じゃなさそうだ。ここは、小さいころ、よく両親に連れてきてもらった小川。綺麗な小石がたくさんある小川で、私はよくきれいな石を川辺に並べていた。水はきらきらと光を反射していて、なんだかここは時間が経っていないように感じられる。もちろん、時間が経っている証拠に、私が集めて並べた綺麗な小石たちは見当たらないけれど。
 そういえば、遠い昔に、渋沢くんに思い出話として話した場所でもある。
「でも、よく見つけたね。」
「鹿島に決まった時からずっと、探してたんだ。が楽しそうに話していたこの場所を。幸い、写真も持ってたしな。オフの度に探してたら見つけたんだ。」
 そういえば、家庭科の事業で使った、小さいころの写真、欲しいって言ってたから渋沢くんにあげたんだったっけ。
「あのな、その、そこまでしてここを探してたのは、その……。もう一度、きちんと付き合いたいと思って。」
 渋沢くんは、真剣な顔で私に言う。
「でも渋沢くん。私たちは確かに卒業後、連絡とりあってなかったけど、別れる、とも言ってないんだけど。」
 そのまま是とするのは、なんだか気に食わないから、少しだけ意地悪してあげた。卒業後、私たちは時間の擦れ違いから、どんどん疎遠になった。自然消滅というやつだ。私にとっても、渋沢くんにとっても、微妙な別れだったので、たぶん、このことを蒸し返されるのは嫌なはずだ。それでも、こんな山中に連れてきたことや、今まで散々待たせたこととか、偶然に頼み過ぎだとか、いろいろ思うところがあったから、少しぐらいの意地悪は許されるだろう。
 私の意図に気付いているらしく、苦虫を噛み潰したような顔で、
「そうだな。なら、改めて言いたいんだ。今度は、前みたいに中途半端になんてしないから、、もう一度付き合ってほしい。」
と、もう一度念を押してきた。
「仕方ないな。じゃあ、付き合ってあげる。」
 私は笑いながら承諾した。そのあと、かろうじて克朗に聞こえるか聞こえないかの声で、ありがとう、と呟いた。

淡白に言えば「好き」



Happy happy birthday,Shibusawa!(2013.07.29)